父の話


 父さんの話をする。
父さんは頭が良かった。名門高校から旧帝へ行った。一方で人とうまく付き合ったりすることが苦手だったのだと思う。そのまま大学院へ進んだ。文系で、しかもフランス文学専攻で大学院へ行くということがどういうことなのか今は少しわかる。教職をとるわけでもなく、作品を書き上げて出版するということもなく、今は私立大学のフランス語非常勤講師という立場にある。実家は狭いマンションだけど、父の本棚にはフランス語の本がぎっしり詰まっている。プルーストが父は好きで、「失われた時を求めて」は原著も様々な日本語訳もそろっていた。父の本棚にある小説はだいたいなんでも読ませてくれて、漱石から中上からカルヴィーノから読んできたけど失われた時を求めてだけは、まだ早いといって読ませてくれなかった。僕は、父にもそういうこだわりっていうか考えがあるってことが嬉しかった。
 父さんは母さんのつぎに携帯を買った。お金もなく、流行にも乗らないタイプの家庭だったので、携帯も買ったのはだいぶあとになってからだった。2004年くらいだったかな。それは白いCASIOのやつで、丸いフォルムの手触りのいいやつで、もちろんガラケー。2年たてばauの縛りがなくなって、父さんは新しいのに買い換えた。するとその白い携帯は使われなくなって父さんの部屋の引き出しにしまわれていたのだけど、当然小学六年生くらいの僕のおもちゃになった。なんか着せ替え機能とか、家族や花の写真しかないデータフォルダなんかを何回も開いたり閉じたり。いろいろボタン押して、まだ知らない機能がないか探検したりしていた。父さんは友達の少ない人で、着信履歴も家族と職場の人ばかり。メールにいたっては母さんかauからくるお知らせメールだけだった。今でも寂しくないのかなとは思うけど、たぶん結婚するときいろいろやめたのかなと思う。
 で、メモがある。携帯にメモ欄が50件くらい登録できるようになってるとこ。そこも当然みて、いつもなんにもなかったんだけど、ある日、変な言葉がたくさん書かれてた。それはなんだかいつも父さんがしゃべってるのとは違う言葉で、僕の知らない日本語ばかりで、読んでる間ずっとなんだかとてもふわふわとした不思議な感覚がしてた。あの頃はわかんなかったけど、あれは詩なんだよね。食卓でそのことを話したら父さんはばつが悪そうにして、母さんは、父さんはね詩が好きなの。書いたりするのよ、って言ってそれっきりその話はうやむやになってしまった。なんだか僕はいけないことをしてしまったかなって思った。それから先はもうあのメモに詩は見つけられなかった。
 僕の人格形成やここまでの人生に両親は深くかかわっている。それはまた別の機会に文章にするけれど、僕が詩とか書いていたきっかけやその後も映画とか芸術一般に興味があるのは父の影響がすごく強いと思う。特に携帯に発見した詩の一件は、詩というものがどういう風に認識されてるのか、詩を書くということがどういうことなのか、詩を書く人はどういった人なのかといったことについて教えてくれた。それは必ずしもネガティブなものではなくて、詩の持つ秘密性、神秘的な、学校やテレビゲームにあけくれる友達たちには無い感受性としての特別感みたいなものを僕に与えてくれた。思春期特有の、自分が特別なんだっていう実感と結びついて、あの頃は何でもかんでも文章にしていた記憶がある。
 父はあんまり頓着しない人だから、特に覚えているのだけど、風鈴が嫌いで、だから僕は今の今まで風鈴のある夏を知らない。