帰省しておもったこと


こちらを午後一時に出て、ゆらゆら十一時間かけて大阪まで。鈍行に乗って。青春十八切符を使えば二千三百円で熱海や浜松や名古屋関ヶ原彦根に行くことができる。熱海を過ぎたあたりから人もまばらになってきて、浜松で先輩に飯をおごってもらい、豊橋発の大垣急行に乗り換えるとやっと旅行気分になった。ボックス席でトランプをし、通り過ぎた名駅を眺める。京都で何人か降り、大阪の宿には自分と先輩四人がむかった。銭湯は天井が高くて、いい気持ちだった。

大阪の試合でははじめて最初から出してもらい、わりと内容はよかった。かわりに出れなかった先輩にいろいろとアドバイスをもらい、これは大事だと思った。

遊びにむかう仲間を横目に新幹線に飛び乗り、名古屋へ。駅ビルも金時計もとくに懐かしくもなく、案外、東京と同じくらい美人もいると思い直した。東山線は中央線に比べて狭い。車内放送は耳になじむ。最寄駅は、素敵だった。

家に帰って、飯を食うと、近況報告もままならないまま自転車に乗って公園へ。青春を同じ車両で過ごした友達と会う。中学高校と、彼はいつも見ていてくれた。東京より空は広く、あれはこっちでは見えない大三角形だったと思いたい。高校へ忍び込み、懐かしんで別れる。

コンビニでばったりあった友達と、ほかの友達の家へ。彼らは原付に乗り、バイトに精を出し、変わらない。

帰るとみんな寝ており、起こさないように風呂等すます。寄せ書きとか懐かしいものを読もうかと思ったけれど、眠る。

翌朝、隣町で朝マックの予定が二人とも寝坊する。連絡はすでに到着したあと。いらいらするが、彼女らにはきっとまた会えるので。アメリカへ行った親友に電話する。声が聞けてよかった。

昼は祖父と食べる。だいぶやつれた。さみしいしかなしい。自分を見る目は細く、素敵だった。

高校へ行き、先生に挨拶しようと思ったが、部員への話がながくあきらめる。あの敷地が好き。空がよく見えて、灰色のきれいなグラウンドがあって。

生きている間にあとなんど会えるか、と思いながら飯をたべ、帰る。たくさん質問してくれてうれしい。親孝行になるのなら、いつでも、と思う。

でも、なんだか、懐かしくはなかった。名古屋は道がひろかった。